善正寺 もと天台宗寺門派総本山園城寺下山城国大本山聖護院の末寺である。 本尊は十一面観世音菩薩。創立年代は詳かでないが、 当寺第一世金蔵院は宝永五年に入寂しているからほぼこの時代であろう。 金蔵院より六世を経て第七世寿宝院の時代に、天保三年阿波国美馬郡阿佐谷の内愛行院より、 本尊と寺跡を上韮生下池村の寿宝院へ譲り渡された。 寿宝院は下池院より柳瀬村の吹越に移住し、大栃村竜門寺智栄の弟法竜が入って寺をつぎ、 第八世善正院寿徳坊竜といった。 その後明治維新に修験道は廃せられることになり、明治八年善正院は天台宗三井寺の末寺となった。 当時は仏教の乱れた時代で、当地でも美良布神社所蔵の大般若経の置場所について、小川以東と韮生野以西について争いが起った。 その後韮生野以西は明治十三年四月善正院法竜僧都を上野尻に招き、柳瀬の吹越より出張して寺務をとることとなり、 明治三十年十二月十四日、許可を得て現在の地に移転した。 第九世律師慶寿、第十世少僧都良瑛和尚を経て、第十一世寛善が槙山村庄谷相長泉寺より入った寺をつぎ、 昭和三年檀家二百八十戸をとりたて、庫裡の買収、本堂の新築、その他の施設を整え現在に至っている。 尚当寺は天台、真言、修験の三宗合一教を説く寺院である。 香北町史(松本実編集1968年発行)より

国土地理院発行2.5万分の1地形図「美良布」より。
書き込みの位置は正確でない場合があります。

 善正院と薬師堂は同じ敷地にあります。

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