猪野城本丸跡に建てられています。 鳥居の額には「猪野城八幡」と刻まれていますが、「城八幡宮」とか「八幡宮」とか呼称はいろいろ。 城跡には建てられているのは、決まったように八幡宮と呼ばれるように思います。
 城といっても軍事上の拠点と役割は少なく、この地方を治めていた豪族の威厳を高める象徴としての建物があったのではないでしょうか。 それに相応しく立派なものだったでしょう。 いまは視界は植林に遮られて良くありませんが、昔は猪野々の集落を一望することが出来たと想像します。
 なお、香北町史(松本実編集1968年発行)には「境内に水神社が鎮座」と書かれていますが、 ここ本丸の跡からは少し離れた二の丸跡に水神社が建てられています。

八幡宮 猪野々の猪野城に鎮座し、応神天皇、神功皇后、姫大神を祭る。 香美郡神社記に「先年名本与左衛門の家で代々祭って来たが、正徳二年に古城趾の本丸へ宮を建てて移した」ことが見えているから、 もと城主猪野氏が武運長久を祈って勧請したものが、猪野氏衰退後すたれ、正徳年間に再興したものと思われる。
 境内の水神社は、延宝八年より猪野井口に宮があって井ノ神ととなえていたが天和三年の大洪水で宮が破損し棟札等も流出して来歴等はわからなくなったので、 城趾二の丸に移して宮を建てたと伝えられている。 香北町史(松本実編集1968年発行)より

国土地理院発行2.5万分の1地形図「奈呂」より。
書き込みの位置は正確でない場合があります。

 

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