2010/2/18 撮影 神社は河野部落の氏神様です。役場のデータでは、 河野地区には9世帯15人がいることになっていますが、 住民票は河野にあっても、実際に河野に住んで生活の場としている訳ではないようです。
 田畑、家を捨てても、先祖代々受け継いできた氏神様をなんとか守りたいという願いがあります。
 近年、山間の清流沿いにログハウスが数軒建ちましたが、これは地元の人ではなく街の人の別荘のようです。

拝殿



 狛犬の奉献者には、陸軍憲兵○○○○、陸軍兵長勲8等功7級○○○○、陸軍上等兵勲8等○○○○などあったが、 太平洋戦争で戦死した若者の親が奉献したものでしょうか。


 石灯篭には
紀元二千六百三年
支那事変
出征祈願
成就記念

と刻まれていました。

棄てられた石臼

棄てられたやかん




神社の周りには田畑があり、数軒の人家もあったのですが、今は田には杉が植林され石垣だけが残っています。 人家の跡には捨てられた生活用具が落ち葉に埋もれようとしていました。

もと河野小学校


廃校になった河野小学校の校舎と校庭の国旗掲揚台は今も残っています。

 河野小字宮奈呂に鎮座、山祇命と草野姫命を祭る。昔は古宮というところにあったが、 腐朽甚だしく寛永5年山内下総が今の位置に宮を建て、以後修理を地下で行い、 山内氏からも米を寄進していたことが南路誌に記されている。
 棟札には「寛文元辛丑年ト二月吉日施主山内下総肝煎谷理太夫光治森本兵右衛門大工同名権右衛門」とある。 古来河野部落の氏神である。 香北町史(松本実編集1968年発行)より

国土地理院発行2.5万分の1地形図「奈呂」より。
書き込みの位置は正確でない場合があります。

 

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