右には「南無大聖不動明王」、左には「大山祇命」と見えます。

大師堂 河野明良木山のある。本尊弘法大師。伝えるところによると、嵯峨天皇の弘仁十年、 弘法大師四十六歳の時、衆生済度のため四国山中の入らず山で修業中、たまたまこの地についた。 時あたかも疫病が流行し、人々のなやみは甚だしく伏し倒れる者が多かった。 大師はこの苦難を救おうとして大日如来の示現により、高さ三丈六尺余りの大岩屋にたどりついいた。 日光菩薩の御光が西南より明るくこの岩屋を照らしたので、その光明にちなんでこの地を明良木山とよび、岩屋を夕日の岩屋というようになった。 大師の真言秘密の法により、岩屋の中腹より清水を湧出させ、これを人々に注いで難病を治したという。 大師堂は岩屋に接して建てられ、清水は如何なる長雨にも増すことなく、又旱魃にも決して減らず今日に至っている。 旧暦三月と十月の二十一日は縁日で、前夜は通夜をする人が堂にあふれ、当日は善男善女の参詣者が極めて多く、手に手にお水をいただいて帰って行く。 大師堂の到る道の両岸は、春はつつじ秋は紅葉が谷川の清流にはえて風光が極めて美しく、梶が森登山の一コースとしてもまた有名である。 香北町史(松本実編集1968年発行)より

国土地理院発行2.5万分の1地形図「奈呂」より。
書き込みの位置は正確でない場合があります。

 車で登って行くと車道の右側に小さな標識が立てられています。

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