香北町史(松本実編集1968年発行)によると、古井部落には6所帯28人が住んでいた。 当時でも小さな部落ではありましたが、私の小・中学校の同級生が2人もいました。 しかし、数年前に最後の一軒も山を降り、部落は消滅してしまいました。
 部落がなくなるとそこの氏神様を祭る人がいなくなります。お祭りが行われないだけでなく、荒れ放題になります。 周囲の竹の包囲網が狭まり、今では竹の子が神社の屋根を貫いて伸びています。 竹は昔は日常生活になくてはならないものでしたが・・・

竹が社殿の屋根を貫き破って伸びていた。

古井神社 古井小字宮ノ丸(一名姥神林)に鎮座、山祇命を祭る。 もと姥神と呼んでいたが、明治の初年に古井神社と改めた。 勧請来歴等は明らかではないが、朴ノ木高照寺の支配下にあり、古井部落の氏神として祭られて来た。 宮林は御山方の支配に属していた。 棟札に「一慶安二、戊子十一月吉日根立□□前御座代肝煎二郎三郎」とある。 境内に若宮神社があったが、今は古井神社に合祭されている。 香北町史(松本実編集1968年発行)より

国土地理院発行2.5万分の1地形図「奈呂」より。
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