2003/11/24 撮影

拝殿

拝殿正面の彫刻

本殿



平成八年の「縁修復寄付者御芳名」の筆頭に「金弐拾万円也 高照寺」とあります。 明治の神仏分離令以前は別当寺は普通のことでした。神仏習合の名残でしょうが、今では珍しいのではないかと思います。 高照寺は、200mほど東にあります。
市杵島姫命をまつる。弁財天ともいい昔より氏神をして崇敬して来たが元禄四年に社殿を建立した。 棟札によれば元禄四年再興、同五年鳥居新造、同十四年に屋根のふきかえ、宝永三年に前田新兵衛の世話で鳥居建立、 同六年大庄屋成矢彦之亟等によって社殿の再建をしたことがみえ、享保十四年には村上平三郎が施主となって屋根を修理し、 同十九年には朴ノ木村の儀右衛門が主となって社殿を再興した。尚儀右衛門は享保四年に中田新田拾代壱歩を社領として寄附している。 香北町史(松本実編集1968年発行)より

国土地理院発行2.5万分の1地形図「美良布」より。
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